2014年3月22日土曜日

日本人の永遠のテーマ「ヤンキー論」をちょっとだけ

今回のお題は「ヤンキー」です。これ、「天皇」とか並んで日本人にとっての永遠のテーマの一つだと僕は思います。ナンシー関は生前「日本人の血からヤンキーとファンシーは消えない」と言ってましたが、彼女の没後10年以上経った今でも本当にその通りだと思います。「ファンシー」に関しては、ぱっと思いつくだけでも「ゆるキャラ」「きゃりーぱみゅぱみゅ」「初音ミク」など、佃煮にして売れるくらい日本はファンシーで埋め尽くされています。まぁ、実際に「クールジャパン」っていう名前の佃煮にして外国に売り出そうとしているんですけどね。
一方のヤンキーですが。こちらも相変わらず根強い人気です。清原や長渕や亀田一家、EXILE、最近じゃビッグダディなんかもこのカテゴリに入るんでしょうかね?「ファンシー」ほどのもてはやされ感は無いものの、このカテゴリのキャラクターには常に一定の需要があります。

前回の投稿で、日本人はある程度自律的に横並びの社会を維持することができる反面、その社会の維持には「負の感情の共有」(例えば目上の誰かの悪口を言い合うとか)が伴うことが往々にして発生する。ということについて言及しましたが。別の言い方をすると、日本人は自律的に社会秩序を形成できる反面、その社会は自動的に「虐げられた者」のマインドを持った多数の庶民で構成されることになってしまうんじゃないかと思うのです。
ところが「社会秩序にまつろわぬもの」、つまり、社会秩序の中に組み込まれない特殊な人達もいたそうなのです。さて、ここからは内田先生経由で、網野善彦の「童子」「京童」の完全な受け売りになりますが。それらについては、こことか内田先生のblog(1)内田先生のblog(2)、などをご参照くださいませ。僕の理解した範囲では、童子というのは
・社会秩序から束縛されず
・普通の成人とは異なる容貌(子供のままの髪型)で
異形の力を持つと恐れられていた
ということらしいのですよ。これってヤンキーそのものじゃないですかね?上記をヤンキーにあてはめると
・学校に行かない。反社会的。大学出てサラリーマンになるという標準モデルが眼中に無い
・独特のファッション
・なんといっても暴力的
と、きれいに附合するわけですよ。

平安時代にすでに「童子」というヤンキーが存在していたんだとしたら、ヤンキーは日本の伝統だと言ってもいいんじゃないでしょうか?ヤンキーは「虐げられた者達」である庶民のカウンターであり、だからこそ、社会秩序から束縛されないヤンキーは庶民にとっての憧れだったんじゃないかと思うのです。かくして、千年以上に渡ってヤンキーに憧れ続けてきたんだとしたら、そりゃ確かにナンシー関が言うように日本人の血からヤンキーは消えないだろうと思います。
特に現代においては社会秩序に沿って普通に生きるということと、人類がこれまで積み上げてきた自然な営為との乖離がどんどん激しくなっていくので、ヤンキーに対して我々庶民が持つ憧れには「人類が積み上げてきた人としての自然な営為」への憧れも含まれているんじゃないかと思うのです。例えば現代の日本で「普通に生きる」というのは、それなりに勉強して大学を出てサラリーマンになって毎日パソコンに向かってデスクワークの日々、家に帰ると核家族で子供は多くても二人で…ということになるんでしょうが。ご存知の通りわが国のヤンキーは中学か高校くらいで勉強を放棄し、多くは肉体労働に従事します。そして早く結婚して平均より多くの子供を作ります。このヤンキーのライフスタイルって、つい100年か200年くらい前まではこっちが普通だったわけですよね。こう考えると、益々もって日本からヤンキーが消えることは無いと確信するに至るのであります。


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