2013年6月23日日曜日

大人のいない国のクールジャパン

前回の投稿で言及したように、「菊と刀」という本では「日本人は無邪気に振る舞うことを許されていた幼少期と、それ以後の『恥を知る』大人としての時期とで明確な断裂がある」と指摘しています。僕はこれは結構鋭い指摘なんじゃないかと思います。というのも前回の投稿の通り、欧米、とりあえず僕の知る限りでスペインでは子供は「人間=大人」になるまでの過渡段階にあると考えられているようで、「人間=大人」の世界になるだけ早い段階で順応することを求められてるように見えます。だから、日本のように「子供のうちは好きにわめいて走り回ってもよい、子供に罪はない」という風には考えられていないように思えるのです。

しかしながらこれも「菊と刀」が書かれた60以上前の日本の話であって。日本ってどんどん大人のいない国になってきたように僕には思えるのです。つまるところ、大人と子供の断裂が曖昧になって、いつまでも子供みたいな大人が増えてきたということです。まぁ僕も人の事を言えた身ではないのですが。こうなった原因について「大人のいない国」という本が採用している説明の一つは、「日本はたいへん成熟した社会なので、人は未熟なままでも生きていけるようになった。」ということで。この説にはある程度の納得感があると思います。
日本に比べて安全な国なんてほとんど無いので、国によって程度の差こそあれ、海外で生活するには「自己責任で危険を回避する、身を守る」という大人としての能力が日本よりも要求されます。
例えばスペインでは池や川にフェンスなんてありません。バルセロナの海辺の埋立地にあったショッピングモールには敷地と海を隔てるものが何もなく、ショッピングモールのウッドデッキみたいなところから簡単に海に落ちてしまえるように出来ています。日本だとこういうところにはフェンスの一つでもつけておかないと何か事故があったときには責任を追及されそうなのですが、どうやらスペインではそういう風には考えられていないようなのです。体感的には、日本だと二重三重にセキュリティをわざとかいくぐらないとできないようなことがスペインだと簡単にできてしまうので、「うっかりしてると日本よりかなり簡単に死んじゃうかも」と、いつも思ってました。

そんなこんなで、スペインで2年間暮らして日本に帰ってきたら、日本が本当に「子供の国」に見えたからです。上述のフェンスの話だけでなく、例えば各自治体は判で押したように「ゆるキャラ」の着ぐるみをつくり、メディア媒体や看板にも萌えアニメ調の絵が当たり前のように出てくる。家電チェーン店では子供が歌うテーマソングが流れる。30代半ばの同期と久しぶりに会ったら、全員がAKBの押しメンについて当たり前のように語り合える。こういった日本を見て僕は「子供文化がどんどん大人の世界を侵食していて境界がどんどん曖昧になってきている」と感じました。で、さらにこういう物を伝統文化とセットにして”クールジャパン”と名前をつけて売り出そうとしているんでしたっけ?でも、結局のところクールジャパンがやっていることは「大人にならなくても許される日本」「子供の側に大人が擦り寄って合わせる日本」を世界に発信しているだけのように僕には見えます。

僕も中学生くらいまではアニメオタクだったのでアニメは今でも見ちゃいます。大好きです。それでもアニメや漫画やゲームには「子供文化」という出自に対してある程度自覚的で、それに対する後ろめたさを持ち続けてほしいのです。ましてや国を代表する文化であるような顔はして欲しくないのです。日本でアニメやゲームの文化が発達した一番の理由は、子供と大人の間に大きな断裂があるので子供のための娯楽(アニメや漫画やゲーム)を作ることが立派な商売に成り得たということなんじゃないかと思います。で、その子供文化に本気でハマる大人=オタクが出現したわけです。
これはアフロディズニーという本の受け売りですが、オタク文化が今のように社会的に認知されるようになる課程はアメリカで黒人音楽が市民権を得るまでの過程と相似形なんだそうです。曰く、アメリカの黒人音楽は人種差別と根深い関わりを持っていて、差別と戦いながらも最後は彼ら独自の文化を築いた。これは、日本のオタクが社会的に冷遇されながらも現在に至るオタク文化を育てた過程とまるで一緒であると。
でもその結果としてあれだけオタクについての自己言及的な啓蒙活動を続けてきた岡田斗司夫さえ、「オタクはすでに死んでいる」と言い出すに至りました。オタク的な物があまりに世の中で普通になってきたので、オタクがマイノリティとして相互扶助的なコミュニティを構築する必要がなくなってしまったと彼は言っています。そうなった原因は「オタク文化が立派に大人文化の一翼として認知された」というよりは、どちらかというと「大人と子供の境界が曖昧になってきて、気がついたらアニメも漫画もゲームも大人の世界で市民権を得てしまった」という側面の方が強いんじゃないかと僕は思います。簡単に言うと、スターウォーズのフィギュアを集めて部屋に飾ってる人がオタクでもなんでもなく割と普通になってしまったということです。
少なくとも僕が現役でアニメオタクだった頃(90年代前半)は、思春期の中学生がアニメ=子供文化が好きだなんて言うのはカッコ悪いという風潮がありました。そんなのより月9とかのトレンディドラマ(遠い目…)=大人文化をちょっと背伸びして見るのが当たり前という世の中でした。当時アニメオタクだった僕としてはそのような世の中に対して多少の憤りもあったのですが、今となってはアニメの立ち居地ってあの頃くらいが正常なんじゃないかな?と思います。中学生ぐらいになったら背伸びして大人文化に積極的に触れようとするのが普通で、子供文化の側にいるのはカッコ悪い…というくらいで丁度よいと思うのですよ。そういう意味では、中学生くらいにとってそこまで魅力的な大人文化に見える物って今あるんですかね?

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とはいえ漫画やアニメがある程度海外で認知されているというのは本当のことだと思います。だけど、漫画やアニメの受容はヨーロッパでも国によってだいぶ温度差があります。ヨーロッパ一のアニメ受容大国はフランスで、その次はおそらく我がスペイン…つまりラテン国家だけなんですよね。例えばイギリスとかドイツとかスウェーデンでアニメが人気という話はあんまり聞いたことないです(そりゃ好きな人はそれらの国にもいるとは思いますけどね。)。ヨーロッパでもラテン=カトリック=マザコン=メシのウマい国でだけアニメは人気があるのですよ。というわけで次回予告、「マザコン国家はメシがうまい」。

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