2014年3月15日土曜日

日本では大して人望が無くても人の上に立てる

今回は日本では「サラリーマンの愚痴」と言われるような話をします。というのも、以前はそこまで気にならなかったのですが、日本に帰ってきてから日本の会社の管理職やエライ人のクオリティの低さにイラっとくることが本当に多いのですよ。何が問題っていうと、
・人を前向きな気分にさせる能力が乏しい、もしくはそういう気が最初からまるで無い
・部下が嫌がることを命じるのに、情理を尽くして説明して分かってもらおうとしない
・上記のようなことがいちいち気になる。つまるところ人望がない、若しくは人を使うのがヘタ
ということなのです。みんながみんなそうだって言うつもりはなくて、勿論優れたリーダーだっているんですよ。でも、「人の上に立つ資質を欠いているのに人の上に立っている人」が結構な数いて、そのうちの何人かは大変残念なクオリティなのではないかと思うのです。
なんでこうなるのか。について僕なりの結論だけを先にを言うと「日本の会社はすごく安定しているので、資質が無い人が上に立っていても特に困らない」ということなんじゃないかと思うのです。

これは「会社」をひっくりかえして「社会」にしても全く同じ事が言えます。欧州で生活してみると、民主主義というのが彼らにとって必然のなりゆきとして生まれたという事が生理的なレベルでの納得感を伴って理解できるのです。個人の利益や自由を保証することと、社会を維持するという二つを両立するために、色々な試行錯誤を経た上で彼らは民主主義という社会システムを作り出したんだろうと思うのです。別の言い方をすると、そういうシステムが無いとたぶん彼らは本当に社会が維持できないんだと思うのです。実際、地震やハリケーンなどの甚大な自然災害によって秩序が崩壊すると、日本のように被災者が整然と避難所に集合して助け合うようなことにはならない国の方が多いようです。
これに対して日本という国は、ムラ的な相互監視システムによってそれなりに自律的に社会を維持できるんじゃないかと思うのです。このムラ社会では基本的に全員横並びであることが重要で、そこから逸脱しようとすると、出る杭は打たれるようなことになるわけです。そして日本では「誰かの文句を一緒に言う」などの形で「負の感情を共有する」ことによってムラの結束をより強めるという習慣があります。この辺りが外国人から見て一番理解されにくい日本の奇習の一つなんだと思いますが、日本人の「飲みニケーション」みたいな文化ってたぶん昔からあったんだろうと思います。なので、無理難題を押し付ける役人(上司)が上にいたとしても、致命的に限度を超えてない範囲ならば、かえって文句の言い甲斐があるので結果的にムラのチームワークがよくなってしまうようなことが起きたりさえするわけです。

話を会社に戻して、ここでいつもどおり海外では…という話を、例によって僕が嫌いな「欧米」という言葉を便宜上使ってしますが。人望が無かったり人の使い方がヘタな人が上に立つと、会社に対する帰属意識が弱い欧米では日本以上に組織のパフォーマンスが劣化して、それが結果に割と分かりやすく出てしまうんじゃないでしょうか。あと、何よりも日本と違って「嫌なら会社を辞めて違う仕事を探す」ということが割と当たり前なので、あんまり人望の無い人が上に立って部下に無理難題を押し付けてたりしてると、人が逃げていって組織自体が維持できなくなって死活問題に発展してしまいます。
だから、あんまり人を使うのがヘタな人や、人望が無い人が上に立ち続けることが難しいシステムになっているんじゃないかと思います。少なくとも、割と簡単に人に逃げられる欧米では人を使うということに関して日本の比ではないくらいの労力が要求され、管理職は個人の能力として単に優秀なだけではなく、それなりに人望が無いと務まらないんじゃないかと思います。

以上まとめると、日本の会社というのは、こういう風にできてるんじゃないかと思うのです。
「人の上に立つ資質を欠いた人」でも人の上に立ててしまう
                  ↓
人望の無い上司の無理難題に振り回されても部下は簡単には会社を辞めずに我慢する
                  ↓
部下達は上司の文句を言い合うことで連帯を深める結果、チームワークがよくなったりもする
これには一長一短あって、悪いことばかりでも無いと思うのです。能力の高い人が上に立つという弱肉強食的な競争社会って、それはそれで相当なストレスだと思いますよ。実際アメリカやイギリスなどの露骨な競争社会って精神的に病んでいく人が多いイメージがあります(という話を聞くだけで、本当にそうなのかは実体験を伴っていないので分からないですが)。
それに比べたら、資質が無くてもそれなりに上のポジションにいけるようにできてる(伝統的な)日本の会社システムってまだ平和だと思うのですよ。だいたい、儒教的な家父長制度をそのまま援用したような伝統的な日本の会社組織では一般的に年長者ほど上の立場に立つという仕組みになっていますが、こんなの完全な競争社会だったらまず実現しないですからね。
しかしこの、「儒教的な家父長制度」の上下関係だと、上司と部下は「親から子」のような関係になっちゃうんですよね。これが冒頭に挙げたように、「情理を尽くして説明して分かってもらおうとしない」とか「人の前向きさを引き出そうという気がそもそも無い」という、態度にもつながってるようにも思えるのです。

一長一短ありながらも、それにしてもこれはさすがにどうかなー?と思うのは、人望も無い上に部下を子供扱いする態度に出るおじさん達が、一方では「イノベーション」とかいう言葉を振り回しながら社員に対して何かしら自発性や創造性を求めていることなのです。社員にそこを求めるんだったら、さすがにまずは自発性や創造性を喚起するような人の扱い方をすることから始めるしかないと思うのですが。そんなおじさん達が上に立って「イノベーション」とか言ってられるうちは、まだまだ会社も安泰なのかもしれません。
こういう事を言ってると、日本人サラリーマン諸氏には「まぁまぁ、腹立つ事とか納得できないことなんてサラリーマンやってればあって当たり前だよ。いちいち怒ってたらキリが無いだろ?大人になれよ。」とか言われるんですが。彼らは「子供扱いされるのを受け入れること」を「大人になる」と言ってるわけで、このパラドクスを咀嚼できる器用さが残念ながら僕には無いのですよ。


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ついでにこの文脈で我が国の政治家について言及しておきますと。ここ20-30年の日本の首相というのは、とても人望があるようには思え無いけど、ほどほどに文句の言い甲斐のある人達が大半だったと思うのです。
僕の知る限りの例外は小泉純一郎です。彼は「愛させる能力」だけで首相をやってたと思います。「小泉改革」が何を改革しようとしているのか国民のほとんどが実際は理解していないにもかかわらず、とりあえず国民に支持され続けたのって、ひとえに彼の「愛させる能力」の成せる業だと思うのです。
そしてこれを書いてる現在の安倍首相なのですが。彼は旧来の自民党首相とは違って、たぶん欧米の大統領みたいなキャラを目指しているんだろうと思うのです。が、残念ながら彼の発する全てのメッセージは「裏でジャイアンみたいな怖い奴に脅されて、お金持ちのお坊ちゃんが無理矢理言わされてる」かのように僕には見えます。まぁ、日本以外の国で大統領が務まったりする器だとは正直なところ思えません。何より彼が不思議なのは、憲法をいじったりして国家の株式会社化を進めることによって、日本という国を「安倍晋三では首相が務まらない国」に変えることに熱意を傾けていることです。

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