2013年5月30日木曜日

語学とお仕事(5)

以前のエントリに書いたように、僕は(少なくとも僕より語学が出来ないと思っていた)後輩が会社から海外に送り出されるのを見たときにとても悔しい思いをして、その後紆余曲折ありながらも同じように自分が会社から海外に送り出された後に、日本に戻ってきて一年が経とうとしている。やれグローバル時代だとか言ってみたところで、田舎の製造業の我が社で理系のエンジニアが海外に行くのはまだまだ特殊事例だ。行く前と帰って来た後で僕に注がれたのは、かつて僕が後輩に向けてたのと同じで、簡単に言うと「ズル~い」というちょっと嫉妬の混ざった視線だった。確かに結果として運が良かったとは思うよ。だけど、君よりは語学をがんばったつもりなんだけどな。とか、行ったら行ったでいいことばっかりじゃなくて色々辛いことだってあるんだよ。特に最初の方はね。とか思ったりもする。まぁ、勿論そんなこと彼らには言わないけど。

ちょっと前にルース・ベネディクトというアメリカ人の書いた「菊と刀」という本を読んだらなるほどと思うことが書いてあった。この本は日本文化論の古典的名著であり、いかによくできているかはたとえば内田樹などさまざまな人がすでに言及しているのでそこはさておき。ルース・ベネディクトが言うには、アメリカという国では一代で巨万の富を得るのはアメリカンドリームの実現であり賞賛されるべきことであるが、日本では明治維新後に急に巨万の富を得た者は「成金」と呼ばれて庶民から蔑まれた。つまり、アメリカと日本では完全に反応が真逆になるんだそうな。曰く、日本は天皇から始まって武士、農民、果ては賎民まで明確な「カースト」が存在する階級社会で、それぞれの階級に与えられた特権を逸脱しようとする者は必ず罰せられ。だから成金は庶民から蔑まれたというわけだ。

僕の話に戻ると。興味深かったのは、会社の人達が僕を「階級を逸脱した特権を得た」としてやんわりではあるが攻撃的な目を向けてくる一方で、そのような処遇を与えたお上(=会社)を非難しようとはまるで思ってないことだ。もし僕が階級を逸脱した特権を得たと思うなら、僕にそれを与えたお上(=会社)も多少は非難するのが筋なんじゃないかと思うんだけど、彼らはそのようには考えない。

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