2015年12月20日日曜日

「『やめないままでいる』ことをやめられない人」とリセット願望

12月も半ばになり、本格的に寒くなってまいりました。実は僕は小学校2年生の一年間だけなんですが「冬でも半袖半ズボン」をやってたことがありまして。今思い出してもなんであんなこと頑張ってたのか本当に不思議なんですが、当時のクラスには僕も含めて「冬でも半袖半ズボン」が3人いたのです。お互い口に出しては言わないけど水面下では何かしら意地の張り合いみたいな雰囲気があって、内心途中でやめてしまいたいと思いながらも結局春まで半袖半ズボンで通しました。
ゴン中山48歳で現役復帰というニュースを見て、真っ先にキング・カズのことを思い出して、そして半袖半ズボンのことを思い出しました。たぶん、カズが今まで現役続行していなかったらゴン中山は現役復帰なんて事はしなかったんじゃないかな?と思います。Jリーグが存続する限り50前後までプレーする選手はこの後も出てくるんでしょう。誰が最初に彼のことをキングって呼び始めたのか知りませんが、カズってほんとにJリーグのキングですよね。

他にも、引退って何度も言ったくせに結局復帰する宮崎駿とか、未だに現役続行に意欲を燃やす辰吉丈一郎とか…我々日本人ってつくづくこういう人達が大好きですよね。この対極には中田とか江川とか新庄のように「完全燃焼する前に自ら引き際を決めて引退」した人達がいるのですが、彼らが国民的に愛されているとは言い難いですよね。
小学校2年生の頃の僕と、ゴン中山やカズや辰吉に通じるものがあるとしたら、それは「『やめないままでいる』ことをやめられない」という少し病にも似たものなんじゃないでしょうか。どれも捉えようによっては「継続」として賞賛されることのようなのですが、「継続」という言葉がもたらす前向きさよりはどこかねじれてて何かしら病んでるような気がするのです。

この一方で我々日本人は「リセット」というのも大好きだったりします。これについては内田先生がこれ以上無いくらい的確な文章を残しているのでそのまま貼り付けておきます。
「リセット」の誘惑に日本人は抵抗力がない。
「すべてチャラにして、一からやり直そうよ」と言われると、どんなことでも、思わず「うん」と頷いてしまうのが日本人の骨がらみの癖なのである。
「維新」といわれると思わず武者震いし、「乾坤一擲」とか「大東亜新秩序」とかいうスローガンに動悸が速まり、「一億総懺悔」でも「一億総白痴化」でも「一億総中流」でもとにかく「一億総」がつくとわらわらと走り出し、「構造改革」でも「戦後レジームからの脱却」でも、とにかく「まるごと・一から・刷新」と聴くと一も二もなくきゃあきゃあはしゃぎ出すのが日本人である。
それはそれまでの自分のありようと弊履を捨つるがごとく捨てるのが「自分らしさの探求」であり、「自己実現」への捷径であると私たちが信じているからである。
繰り返し言うが、こんな考え方をするのは世界で日本人だけである。
私はそれを「属邦人性」と呼んでいるのである。
この文章は2007年に書かれたにもかかわらず、その後の未来を的確に予見していると思います。震災以降の日本人は原発事故が遺した途方も無いネガティブインパクトに対してこの「属邦人性」が大爆発してしまい、「全部無かったことにしてリセットしたい」という強烈な願望に駆動されて迷走しているように僕には見えるのです。たとえば、RIZAPなんてまさに「リセット願望」の最たる物で、今までの不摂生を短期間だけ必死で努力するだけですべてチャラにしようとしているわけですよね?

そして、政治の世界でも震災以降はリセット願望の暴走が相変わらず猛威を振るっています。上記の内田先生のテキストでは「一億総」や「戦後レジームからの脱却」など、現在の安倍政権のワーディングが予言されています。そして、「維新」という言葉も上記のテキストには含まれています。ご存知の通り、橋下徹率いる「維新」は既存の何かを敵としてつまみあげては「リセット」を叫びながら攻撃することの自転車操業をここまで繰り返してきました。
自民党はさておき、橋下徹の自転車操業はさすがにいつまでも続かないんじゃないかな?と思っていたら、「沖縄の米兵は風俗を利用してください」発言でボロが出て以降はさすがに下り坂になり、とうとう選挙で負けると、"ぜんぜんそんなつもり無いくせに引退宣言" → "なんかゴタゴタ内輪モメした挙句国政に打って出る" という、誰も予想さえしていなかった大仁田厚(何度も引退→復帰を繰り返したプロレスラー)みたいな手法で政治家としてまた復帰しようとしています。
橋下徹は自分自身ををリセットできたと思ってるのでしょうか?どちらかと言うと僕には「『やめないままでいる』ことをやめられない」人と同じ病の中に飛び込むことによって新たなポピュリズムの道を模索しようとしているように見えます。彼はこれまでひたすら「リセット」を叫ぶことの自転車操業を続けてきたわけですが、「『やめないままでいる』ことをやめられない」という病をも取り込んで「橋下徹2.0」とでも呼ぶべきより厄介な段階に入ったんじゃないでしょうか。

「『やめないままでいる』ことをやめられない」=「限界を超えているのにいつまで耐え続ける」ことと「リセット」の組み合わせは、「あるところまで延々粘ったかと思ったらある日突然極端から極端へと簡単に振れる」という日本人の気質を形作っていると思います。実際に、第二次世界大戦の末期には国家の体裁を維持できる限界を通り越しても日本国民は耐え続け、そして終戦とともにすべてをリセットしました。
この順番だったらまだ理解できるんですが、橋下徹の場合は順番が逆なんですよね。「リセット」の連発が先で、それがこじれた挙句に「『リセットって言いつづけることをやめないままでいる』ことがやめられない」ように見えるのです。別の言い方をすると、「『リセット』って言い続ける自分をいつまでもリセットできない」ということなんですが、なんかもうややこしいのでこの辺りにしておきます。

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