2014年8月30日土曜日

何でもすぐ動画に撮りたがる奴はたぶんモテないと思う

たぶんここ10年くらいの話だと思うのですが。ちょっとしたイベントとかセミナー等に行くとどこかにカメラが最低一台は置いてあったりするのがすっかり当たり前になってきましたよね?たぶんSDカードやメモリースティックの大容量化や、そこそこの画質で簡単に動画撮影できるカメラが安価になったことなどが理由の一つだとは思うのですが。こんなことが当たり前になった昨今では、外部講師を呼んで講演依頼をする際に必ず録画や録音の可否について事前に確認画必要になっていて、中には録音や録画を拒否する人も結構いるようです。
録画拒否する人が言うには、例えば悪意のある人が前後の文脈から切り離して発言の一部だけを切り取ってYouTubeにアップロードするようなことって十分に起こり得るので、撮影されている状態で何かを喋るという事自体が今の世の中では相当にリスクが高いんだそうです。
最近では、後でわざわざ見る奴いないだろ?と言いたくなるような社員ばっかりの内輪の発表会からプライベートでのちょっとしたパーティーまで、「とにかく何でも動画に撮りたがる人」というのが結構目につくようになってきたのですが。今回は「こういう人達って困るよね」から始まって「なんでそうなるのか」についてちょっと考察して、最後は「でも彼等ってたぶんモテないよね」と着地する話をします。

まず最初に申し上げますが、何でも動画に撮る奴って、たぶん後で見ていないです。彼等にとっては「録画する=後で再生可能にする」ことが重要なのであって、後で見ることにはおそらく彼等は価値を感じていないです。彼等をそこまで駆り立てるのは、録画して後で再生可能にすることで時間や空間を超克したいという幼児的かつ「脳」的な欲だと思うのです(例によって養老孟司の「脳化」の話の受け売りです)。ご存知の通り、YouTubeやクラウドの登場はこういった脳的な欲を爆発的に亢進しました。
この、「あらゆる出来事をYouTubeやクラウドにアップロードして世界中の人とシェアする(=脳が喜ぶような)ことは人類の幸福に貢献する」という信仰に加わるために、彼等はライブをその場で見る事と後でYouTubeで見る事の差異に鈍感になるように自身の身体的な感受性を自ら捨てようとしているように見えるのです。だって、ライブの「一回性」とか「その場」に対する敬意が本当に感じれたら、とにかく何でも動画で撮ってYouTubeにアップロードしようなんて思わなくなるでしょうからね。

かくして、動画を撮って何でもネットにアップロードすることで功徳を積めると信じる彼等は、TPOとかあんまり気にせずにとにかくあらゆる場所でカメラを回すようになるわけですが。これ、本当にデリカシーがないですよね?人によっては今日は化粧のノリが悪いとか、最近太ってるから映りたくないとか、思ってるかもしれないけど彼等はたぶんそんなこと意に介していないのです。
動画を撮影することで彼等は、おそらく本人も自覚が無いまま「オマエ達はこの動画の登場人物になれ。オマエの一挙手一投足、全部そのまま未来永劫残してやる。」と一方的に宣言しているわけですが。これって、動かない真実の中に人間を未来永劫縛り付けて呪いをかけているのと一緒です。
例えば飲んで散々カラんだ翌日に「あー、そんな事言ったかもしれない。えー、でも覚えてないや、ははは。」とか言ってごまかしたり、都合よく記憶を作り変えたり、それなりにいい加減だから人間って生きてると思うのですが。もしその場面を動画に撮ってしまう(飲み屋で動画録る奴がいるとは思えないけど)とそういうことを一切許さずに、事実だけを何度でも残酷に再生してしまうのです。
「コンピューターの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなたたちはその意味を、もっと真剣に考えるべきだった」という映画の攻殻機動隊のセリフがどうしても思い出されます。

以上より、簡潔な一言で結論を述べると「何でもすぐ動画に取りたがる奴ってたぶんモテない」と思います。だって、身体的な感受性が低くてデリカシーが無いって、どう考えてもモテないでしょ?
自分が村上龍にでもなったつもりで最大限にイキった言い方をすると、「何でも動画に撮る奴とセックスできるような女子はこちらからお断り申し上げたい。」くらい言いたいんだけど。でも僕はすごく小心者で自分がマイノリティだという自覚があるので、「何でも動画に撮る奴とセックスできるような女子は全員ブサイクであって欲しいと願っている。」くらいの言い方にしておきます。

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